そこに道があるから…
西国街道を走る(第2回)
石橋阪大下の交差点からスタート。
奥の石塔には「玉坂新池弁財天供養」とある。
イナイチ(国道171号線)と一瞬交わる。
大阪外環状線の高架下の踏切を越えてまっすぐ道なり。
完全な住宅街です。
このあたりから道がきれいに整備されている。
左奥の建物は「箕面自動車教習所」。その手前に「半町宿跡」の説明板がある。
西国街道は踏切を越えてまっすぐ。
このあたりは「西国街道」として道が整備されています。
ここは箕面・大坂道と西国街道が交わる四つ辻に当たる場所で、高札場(幕府のおふれなどを掲げる掲示板)のあったところらしい。
よく整備されていて走りやすい道です。
右手奥に見えるのは箕面市立病院。
レンゲがきれいに咲いていました。
ここにも高札場があったようです。高札場は江戸時代に御触書などを掲げた場所です。
箕面市内は道が良く整備されています。
俳人でもあった萱野三平は赤穂浪士討ち入りの際、赤穂へ向かうも、 父の反対に遭い討ち入りを前に、ここ長屋門で自害しました。赤穂浪士48番目の義士として有名です。
「晴れゆくや 日ごろ心の 花曇り」(涓泉の辞世の句)
※涓泉(けんせん)は萱野三平の俳号
この後、道は国道171号線を一旦北側に跨ぎ、再び南側へ。171(イナイチ)と並行して走りやすい道が続きます。
「勝尾寺旧参道町石」と書いてある…が、町石は左隅の飛び出し少女の陰に… 写真はいずれ差し替えましょう(^^;。
奥に見える信号の所が「勝尾寺口交差点」。 この粟生新家(あおしんけ)からまっすぐ北へ延びる36町(約4km)が勝尾寺の表参道だそうだ(ちなみに今も勝尾寺まで直通している)。
その前の石柱には「左 勝尾寺二階堂道」と書かれている。
右の道標には「左 ふしみ道」と書かれている…ので左に進みましょう(^^)。
「この地は春日神社の大祭の際に御輿が巡行するため「お旅所」と呼ばれ、御輿を置くための台座が所在します。」と書かれています。
春日神社は神護景雲年間(767~769年)の創建とのことだ。
茨木摂津線を跨ぎます。現在は上に大阪モノレール(彩都線)が走っています。ほぼ駅(豊川駅)の真下を走ります。
勝尾寺川を渡る。
このあたりはまだ畑がポツポツ残っていました。
ぽつりと道標が。
もう一度勝尾寺川を渡る。
このあたりの道はきれいに整備されていて走りやすい。
今度は渡らず勝尾寺川沿いを走る。
しばらく勝尾寺川に沿うように走る。
南 堺九里、住吉七里、大坂五里、吹田三里、茨木驛三十町…と読めます。四面とも距離表示が書いてあります。
中河原は「西国街道」と「亀岡街道」が交差する地点。
…というわけで、交通の要衝だったのね。
みたび勝尾寺川を渡る。勝尾寺川、どんだけ曲がってんねん!
幣久良橋を渡ると耳原に入る。
日蓮宗のお寺だ。
この日はお祭りで御輿が出ていた。
名神をくぐるとすぐ太田橋。名神沿いの道ではなく、右側の細い道を進む。
道がすいている♪
再び街道らしい佇まいに。
太田橋を渡ってすぐ左手になにやら看板が。
一里塚の目印である榎の木があったらしい。
茨木市の保存樹に指定されているこちらのムクノキの方がむしろ気になった(^^)。
平安時代末期の武将、太田頼基がこの坂で雲を見て天候を予測し、戦の采配を考えたそうだ。
前回通ったときは空き地ではなかったぞ、はて?
…ここにあった東芝大阪工場は2008年3月で閉鎖されたらしい。
もともとこの辺りは太田城の跡地ともいわれていたが工場建設の際、めぼしい出土品はなかったそうだ。
(2009年9月撮影)
太田神社は太田頼基の居城。
西国街道のすぐ北側にある。公式にはこれが継体天皇陵に比定されているが、これより少し東にある今城塚古墳がそうだとする説が有力だ。しかし、宮内庁管轄なので学者さんも調べようがない。
継体天皇陵と道を挟んで東側にあるこの公園内に「継体天皇陵陪冢(ばいちょう)」がある。
バス通りに出るが、西国街道はそのまま道なりに細い道を進む(写真の道ではない)。
ここを少し北にそれて水路沿いの道をとる。
この辺りは道路が整備されている。
少し街道らしくなってきた。
しばらく水路沿いに進む。
如是川を渡る。
この辺り、土室町、氷室町とあるので、昔は室(むろ)があったのだろうか。
道は緩やかに北東へ。
今城焼かぁ~。へぇ~。
街道から少しそれた北側にある。中を見れるらしいのだが、このときは工事中で封鎖されていた。
さらに道なりに…。
少し道が上りに入ると…。
じきに芥川へ出る。
芥川の西側にある。
芥川沿いの道も走りやすそうだ(^^)。
5月のGW時期にはたくさんの鯉のぼりがこの少し上流あたりを泳ぎ出す。
芥川橋を渡る。
道はここで北側へ折れている。その角にあるのが…↓
第3回は高槻駅からなので、ここから少しかぶります。
府道67号線に繋がるこの道が西国街道のようだ。
駅周辺はこのとき工事中だった。
前回訪れたときにはなかったこの建物がJR高槻駅北側に建っていた。2010年4月開校らしい。駅前の一等地とは、フィギュアスケートで儲かったかな?
この辺りから長岡京市の調子八角までは西国街道は府道67号線と重なる。
上部が折れてなくなっているが、「本山寺近道、これより60丁」と書いてあったそうだ。 でも、ここから60丁(江戸時代のものなら1丁=約109m?)を地図上で測ってみると、 ちょうど神峰山寺(かぶさんじ)辺りになるのだが…。不動産屋の表示かな?
狭い道ですが、わりと車が通ります。…と思ったら一応府道(67号線)でバス道なのね(^^;。
愛宕神社って、あの嵯峨野の奥の愛宕神社?
くどいようですが、府道でバス道です。
公民館にしては洒落た建物ですね。教会かと思った。(第3回はこのあたりから「西国街道」に合流。)
府道で…もういいって(^^;。
北へ行くと法照寺
このあたりからJRの走るのがざっと見渡せる。「てっちゃん」ポイントなのかな。ひょっとして。
第2回はここで終了。ここから少し北へ降りると、ジャスコの横に2003年4月にオープンしたスーパー銭湯「湯めみの里」があります。ここで汗を流しましょう。