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コースメモ
- 発着地
- 阪急石橋(大阪府池田市)~萩之庄(大阪府高槻市)
- 通過地域
- 大阪府池田市・箕面市・茨木市・高槻市
- ルート
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- 距離
- 約21km
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1石橋阪大下の交差点
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2瀬川5丁目あたり
イナイチ(国道171号線)と一瞬交わる。
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3阪急箕面線踏切
大阪外環状線の高架下の踏切を越えてまっすぐ道なり。
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4瀬川2丁目あたり
完全な住宅街です。
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5瀬川2丁目
このあたりから道がきれいに整備されている。
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6瀬川2丁目
左奥の建物は「箕面自動車教習所」。その手前に「半町宿跡」の説明板がある。
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7半町(はんじょ)宿
半町本陣跡の説明板
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8阪急箕面線踏切(百楽荘あたり)
西国街道は踏切を越えてまっすぐ。
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9牧落八幡宮鳥居
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10牧落2丁目付近
このあたりは「西国街道」として道が整備されています。
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11牧落の旧札場
ここは箕面・大坂道と西国街道が交わる四つ辻に当たる場所で、高札場(幕府のおふれなどを掲げる掲示板)のあったところらしい。
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12牧落あたり
よく整備されていて走りやすい道です。
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13国道171号線と府道43号線の合流あたり(稲あたり)
右手奥に見えるのは箕面市立病院。
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14萱野3丁目
レンゲがきれいに咲いていました。
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15芝村の高札場跡
ここにも高札場があったようです。高札場は江戸時代に御触書などを掲げた場所です。
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16萱野地区
箕面市内は道が良く整備されています。
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17萱野三平邸(大阪府指定文化財)
俳人でもあった萱野三平は赤穂浪士討ち入りの際、赤穂へ向かうも、 父の反対に遭い討ち入りを前に、ここ長屋門で自害しました。赤穂浪士48番目の義士として有名です。
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18萱野三平記念館・涓泉亭
入館案内は箕面市公式サイトから
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19長屋門(府指定文化財)
「晴れゆくや 日ごろ心の 花曇り」(涓泉の辞世の句)
※涓泉(けんせん)は萱野三平の俳号 -
20善福寺
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この後、道は国道171号線を一旦北側に跨ぎ、再び南側へ。171(イナイチ)と並行して走りやすい道が続きます。
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22勝尾寺旧参道町石(36町石)
「勝尾寺旧参道町石」と書いてある…が、町石は左隅の飛び出し少女の陰に… 写真はいずれ差し替えましょう(^^;。
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23勝尾寺大鳥居
奥に見える信号の所が「勝尾寺口交差点」。 この粟生新家(あおしんけ)からまっすぐ北へ延びる36町(約4km)が勝尾寺の表参道だそうだ(ちなみに今も勝尾寺まで直通している)。
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24鳥居の横の案内板
その前の石柱には「左 勝尾寺二階堂道」と書かれている。
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25小野原
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26楠水龍王
右の道標には「左 ふしみ道」と書かれている…ので左に進みましょう(^^)。
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27春日神社御旅所の案内板
「この地は春日神社の大祭の際に御輿が巡行するため「お旅所」と呼ばれ、御輿を置くための台座が所在します。」と書かれています。
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28春日神社お旅所
春日神社は神護景雲年間(767~769年)の創建とのことだ
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茨木摂津線を跨ぎます。現在は上に大阪モノレール(彩都線)が走っています。ほぼ駅(豊川駅)の真下を走ります。
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31山下橋
勝尾寺川を渡る。
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32宿河原
このあたりはまだ畑がポツポツ残っていました。
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ぽつりと道標が。
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34春日神社
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35鍛冶屋橋
もう一度勝尾寺川を渡る。
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36宿河原町
このあたりの道はきれいに整備されていて走りやすい。
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38郡山宿本陣(椿の本陣)
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40郡山本陣
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茨木街道との合流点。茨木街道はここが起点。
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42勝尾寺川前の交差点
ここを抜けると国道171号線と交わる。
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43勝尾寺川にかかる宿河原橋
今度は渡らず勝尾寺川沿いを走る。
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44勝尾寺川
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45勝尾寺川
しばらく勝尾寺川に沿うように走る。
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46中河原
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南 堺九里、住吉七里、大坂五里、吹田三里、茨木驛三十町…と読めます。四面とも距離表示が書いてあります。
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48説明板
中河原は「西国街道」と「亀岡街道」が交差する地点。
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…というわけで、交通の要衝だったのね。
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50幣久良(てくら)橋
みたび勝尾寺川を渡る。勝尾寺川、どんだけ曲がってんねん!
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51耳原(みのはら)
幣久良橋を渡ると耳原に入る。
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53法華寺
日蓮宗のお寺だ。
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54阿井神社
この日はお祭りで御輿が出ていた。
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55安威川
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56安威川にかかる太田橋
名神をくぐるとすぐ太田橋。名神沿いの道ではなく、右側の細い道を進む。
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道がすいている♪
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再び街道らしい佇まいに。
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59案内板
太田橋を渡ってすぐ左手になにやら看板が。
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61太田一里塚?
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62太田橋の欄干
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一里塚の目印である榎の木があったらしい。
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茨木市の保存樹に指定されているこちらのムクノキの方がむしろ気になった(^^)。
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65雲見坂
平安時代末期の武将、太田頼基がこの坂で雲を見て天候を予測し、戦の采配を考えたそうだ。
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66太田神社の灯籠
太田神社は太田頼基の居城。
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67広大な空き地…?
前回通ったときは空き地ではなかったぞ、はて? …ここにあった東芝大阪工場は2008年3月で閉鎖されたらしい。 もともとこの辺りは太田城の跡地ともいわれていたが工場建設の際、めぼしい出土品はなかったそうだ。
(2009年9月撮影) -
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69東太田交差点辺り
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70継体天皇陵(太田茶臼山古墳)
西国街道のすぐ北側にある。公式にはこれが継体天皇陵に比定されているが、これより少し東にある今城塚古墳がそうだとする説が有力だ。しかし、宮内庁管轄なので学者さんも調べようがない。
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71くすのき公園
継体天皇陵と道を挟んで東側にあるこの公園内に「継体天皇陵陪冢(ばいちょう)」がある。
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バス通りに出るが、西国街道はそのまま道なりに細い道を進む(写真の道ではない)。
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74宮田町
ここを少し北にそれて水路沿いの道をとる。
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この辺りは道路が整備されている。
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少し街道らしくなってきた。
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しばらく水路沿いに進む。
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79巡礼橋辺り
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如是川を渡る。
この辺り、土室町、氷室町とあるので、昔は室(むろ)があったのだろうか。 -
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道は緩やかに北東へ。
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今城焼かぁ~。へぇ~。
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83今城塚古墳
街道から少しそれた北側にある。中を見れるらしいのだが、このときは工事中で封鎖されていた。
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さらに道なりに…。
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少し道が上りに入ると…。
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じきに芥川へ出る。
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87大師堂
芥川の西側にある。
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88芥川橋
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芥川沿いの道も走りやすそうだ(^^)。
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90芥川
5月のGW時期にはたくさんの鯉のぼりがこの少し上流あたりを泳ぎ出す。
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芥川橋を渡る。
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芥川の袂(東側)にある橋詰地蔵
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93教宗寺
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道はここで北側へ折れている。その角にあるのが…↓
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95芥川一里塚
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96説明板
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97芥川商店街
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98JR高槻駅付近
第3回は高槻駅からなので、ここから少しかぶります。
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99道標
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100上宮天満宮の鳥居
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府道67号線に繋がるこの道が西国街道のようだ。
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駅周辺はこのとき工事中だった。
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103関西大学高槻ミューズキャンパス
前回訪れたときにはなかったこの建物がJR高槻駅北側に建っていた。2010年4月開校らしい。駅前の一等地に建てるなんて、フィギュアスケートで儲かったかな?
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105能因法師塚の石碑
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106「磐手杜神社御旅所」の石碑
この辺りから長岡京市の調子八角までは西国街道は府道67号線と重なる。
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107石碑(南無妙法蓮華経)
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108道標
上部が折れてなくなっているが、「本山寺近道、これより60丁」と書いてあったそうだ。 でも、ここから60丁(江戸時代のものなら1丁=約109m?)を地図上で測ってみると、 ちょうど神峰山寺(かぶさんじ)辺りになるのだが…。不動産屋の表示かな?
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109安満(あま)
狭い道ですが、わりと車が通ります。…と思ったら一応府道(67号線)でバス道なのね(^^;。
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110JR高槻車庫
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111愛宕神社の石灯籠
愛宕神社って、あの嵯峨野の奥の愛宕神社?
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112安満辺りの道
くどいようですが、府道でバス道です。
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113山手町公民館
公民館にしては洒落た建物ですね。教会かと思った。(第3回はこのあたりから「西国街道」に合流。)
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114山手町辺り
府道で…もういいって(^^;。
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115檜尾川橋の袂の祠
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116檜尾川橋
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北へ行くと法照寺
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118萩之庄あたり
このあたりからJRの走るのがざっと見渡せる。「てっちゃん」ポイントなのかな。ひょっとして。
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第2回はここで終了。ここから少し北へ降りると、ジャスコの横に2003年4月にオープンしたスーパー銭湯「湯めみの里」があります。ここで汗を流しましょう。
奥の石塔には「玉坂新池弁財天供養」とある。