そこに道があるから…
近鉄飛鳥駅~石舞台古墳(周回)(約27km)
さあ、ここからいよいよマラニックのスタートです。
駅前にコインロッカーがありますので、そこに荷物を預けて身軽に走りましょう。WCもあります。
ロータリーで準備体操をしたら、道路を渡って次の道を左に曲がります。
・・・といわれているが、欽明天皇陵については、これより北側の「見瀬丸山古墳」に比定する説が有力。
西側から天皇陵を眺めたところ
左から女、山王権現
法師、男だそうです???
こちらで鬼が通行人を料理して…
こちらで用を足すらしい。
実際は、こちらが石棺の蓋で左の写真が底板だったそうだ。
南西の方向を向いている。こいつが西(当麻の方角)を向くと飛鳥一帯は水没するという。こわ…。
亀石の前の道(東側)。周遊道路になっている。
亀石の横のお地蔵さん
亀石付近の周遊道路(西側)。県道155号線に下りられる道路を建設中だった。作らなくても良いと思うけどなあ~。
先ほどの周遊道路の先にある。この辺りで周遊道路は終点。一旦県道155号線に出て道路を横断する。
川原寺跡の南西角にある庚申塔。
※庚申(かのえさる)の夜に人間の体の中にいる三尸(さんし)の虫がはい出してきて、
天帝にその人の悪事を告げ口する。悪事が報告されると寿命が縮まるので、
三尸の虫が抜け出さないように庚申の日は一晩中寝ずに夜を明かす、
という庚申信仰に基づいて建てられた塔です。
とっても広い敷地。創建当時は中金堂と西金堂、塔からなる壮大な寺院であったようだが、 今は礎石を残すのみである。(ちなみに今この地に建っているお寺は「弘福寺(ぐふくじ)」。)
東側の塔の基壇跡
元の中金堂付近に建てられている。中はお食事処になっていたりする(^^;。
弘福寺境内にある「白瑪瑙(大理石)」でできた珍しい礎石。 滋賀県石山寺辺りから運ばれたものだといわれている。
北側にはさらに広大な敷地が広がる。北側は主に僧坊だったらしい。
川原寺から道路を挟んで南側を見たところ。左手奥に見えるのが橘寺。
川原寺の西側から丘陵地を突っ切って甘樫の丘へ向かう。
川原寺から甘樫の丘へ抜ける道。一山越えた~(^^;。
万葉植物花壇のところから甘樫の丘へ登ります。わっせ、わっせ。甘樫の丘は標高148m。
ショートカットコース
甘樫の丘に登らず下の道路を走っても気持ちがよい。写真は「飛鳥橋」から甘樫の丘を振り返って見たところ
この先右手の休憩所のところから右斜めに進む道を行くとすぐに飛鳥寺に到着する。
ショートカットコースここまで
川原展望台から畝傍山を望む
川原展望台から豊浦(とゆら)展望台までは山越え谷越え~♪(そんなオーバーな(^^;。)
もうすぐ豊浦展望台!
ここからは大和三山がすべて見渡せる。天気が良ければ二上山や金剛山もきれいに見える。
眼下に見えるのは飛鳥寺周辺地域。
万葉歌碑の前を通って丘の北側におります。なが~い階段です。走ると転びそうなので、歩いた方がよいかな。
すぐ左手に休憩所があります。少し水分補給して右側の道へ進みましょう。
ここを渡って、さらに向かいの広い道路を東へ渡ります。
ちょっと寄り道…
飛鳥寺の少し北側には「水落遺跡」がある。
ちょっと寄ってみましょうか。
さらに、水落遺跡の北側には最近日本最古の暦が発見されて話題となった『石神遺跡』がある。 すでに19回の発掘調査が行われているが、現在の県道206号線の北側まで広がる広大な遺跡であったらしい。
中大兄皇子が斉明天皇6年(660年)に造った日本初の漏尅(水時計)の跡。
水時計のしくみが詳しく解説されている。 飛鳥寺前にある明日香民俗資料館には水時計の模型があるので覗いてみよう。
う~ん。時計には見えない…(^^;。
水落遺跡から東側を眺めたところ。この辺りは一面の田園地帯で遠くの景色まで見通せる。 山の向こうは桜井市。
寄り道を終えて、飛鳥寺へ向かいます。
あ~、いいですねぇ~♪
乙巳の変(645年)で蘇我入鹿が中大兄皇子、藤原鎌足らに討たれた際、 その首がここまで飛んできたらしい…???
596年(推古4年)蘇我馬子が物部氏との戦いに勝利したことを記念して建立したとされる 日本最初の本格的仏教寺院。本堂は1825年に再建されたもの。
境内には万葉歌碑がいくつかある。
鳥居右手にあるのは「飛鳥井」
神社の前の道。まっすぐ行って左に折れると飛鳥寺。写真右側の道は県道206号線に出る北向きの道。
2月に行われる「おんだ祭り」が有名。おんだ祭りは夫婦和合を表現する祭り。 かなりきわどい儀式が行われるらしい(^^;。境内には数々の「陽石」がある(^^)。
この階段を上ったところが本殿。上るのぉ~(^^;?
上りました(^^)。ここが本殿。
境内にはこのような「陽石」がたくさんある。
飛鳥坐神社向かって右手のこの道を進もう。1つめの道を右に。 ここから万葉文化館の周遊道路に入ります。
万葉文化館の周遊道路
周りを取り囲んでとても走りやすい道ができている。
こんな感じ♪途中で上に上がる道があるのでそこを上るとすぐ万葉文化館です。
日本最古の貨幣とされる「富本銭」が発掘された”飛鳥池”を埋め立てて建てられた。 周辺は「飛鳥池遺跡」という貴重な遺構だったため、 考古学関係者からはかなり建設への反対運動があったらしい。 …こんな取り澄ました、いえ立派な施設ができあがると、 なんか隠したいものでもあったのかな(^^;なんて勘ぐってしまいます。 (1回目のマラニックのときは、まだただの森でした。)
「奈良県一きれいなトイレ」があるそうです(^^)。タダですか、そうですか。
広い駐車場もありました。
…2週間後に行ったときにはこの看板はなくなっていた。何か文句でも出たかな?
(2番目になったとか(^^;。)
これが外のトイレです。待合室もついてます。ま、ま、きれいでした。
万葉文化館のすぐ近くにあります。
この横にはお食事処もあります。
民俗資料館内部です。無料です。休憩にも使えます。
塀で囲まれていてよく見えない。
このすぐ横に「亀形石造物」の遺跡公園があるが、入場料(300円)が必要。
数年前までは、それでも塀の隙間から垣間見ることができた。
現在はしっかりと木の柵が作られていて全く見えない。
奈良県は観光が主な収入源ではあるんだけどさ(^^;。
こちらも参考にどうぞ。
こんなところに、で~んとある。これが奈良の良いところでした(過去形?)。 いまにここも柵で囲んで入場料をとるのかなあ~。今のうちに触りまくっておこうっと(^^)。
酒を造るための設備だったとも造園設備だったとも言われている。 酒を造っていたのならアルコールの反応とか出ないのかな? 造園設備だとするとこんなのが庭にあるなんて何とも優雅ですね。
酒船石をそのまま通り過ぎてまっすぐ進むとすぐに景色が開けて気分よく走れる。 山(丘?)を一回りして元の道に帰ります。ここから少し後戻りして天理教会の前で左に曲がります。
645年、中大兄皇子と中臣鎌足らが蘇我入鹿を誅殺した(乙巳の変)とされる地。
この後、大化の改新が行われることになる。
はねられた入鹿の首は遠く飛鳥寺の近くまで飛んでいったとか…まさか(^^;。
この遺跡は実は4層(3層という説もある)に分かれていて、第1層が第34代の舒明天皇の飛鳥岡本宮(630年)、 第2層が第35代の皇極天皇の板蓋宮(642年)、 第3層が第37代の斉明天皇(皇極天皇と同一人)の(後)岡本宮(656年)、 第4層(最上層)が第40代の天武・第41代の持統天皇の飛鳥浄御原宮(672年)だそうだ。 同じ地に三度四度、宮殿を建てたとすると、よほどここは吉祥の地だったのだろうか。
伝板葺宮跡を出て、まっすぐ南へ進みます。 川原寺の前から東西に続く道を一旦行き過ぎて突き当たりを右に曲がりましょう。 広い道路を渡って飛鳥川沿いを少し北上。ここも走りやすい道です。次の川戸橋を渡ります。
橋を渡ってすぐ左に曲がると橘寺が見えます。
606年(推古14年)に聖徳太子が「勝鬘(しょうまん)経」を読んだ際に蓮の花が降り積もり、 それを見た推古天皇がこの地に寺院を建てるように命じたとされる。 境内には奇石の1つである「二面石」がある。
お寺の横に自販機がありました。のどが渇いたのでスポーツドリンクでも、と思ったら軒並み売り切れ。 観光客は全くいなかったのになあ~???
橘寺を過ぎてすぐに左に曲がります。このような走りやすい周遊道路が続きます。
川原寺から正面の道を上ってくるとこちらの門に出ます。拝観受付はこちらの方です。
橘寺の裏の道もなかなか素敵♪
ここまでは山の麓で木陰が続き涼しい。周遊道路を走ってきて振り返ったところ。
この橋を渡るとすぐ石舞台古墳。
蘇我馬子の墓と言われている。盛り土が失われたために石棺が剥き出しの状態になったという極めて珍しい例。
現在は石舞台周辺は柵で囲まれて入場料(250円)が必要。 数年前までは公園の中に、でんと置かれていて自由に見られたのに…。
内部に入ってみることができる。中に何もないからこそオールOKになったんだよね。 でもこの石の迫力はすごいです。この日は最高気温34度でしたが、中はひんやりと涼しかったです。
こうやってみると石の大きさがよく分かります。 こんな大きな石を運ばせることが権力の象徴でもあったのでしょうね。
この日は公園広場で蹴鞠をやっていました。ここらで昼食を頂きましょう(^^)。 売店におにぎり等売っています。
石舞台公園の周遊道路を廻って南側に出ます。暑いですねぇ~(^^;。
なるほど(^^)。ちょっと倒れてるけど。
現在は埋め戻されているため何にもありません。碑だけがポツンと立っています。
この辺りずっと上りです。
周遊道路が続きます。レンタサイクルを借りて走るのも楽しそうですね。
もう少し南へ行くと、かかしコンクールなどで有名な稲淵の棚田地帯に出ます。
この辺りまでは結構急な上り坂。ここらで一休み。WCあります。ここからは下り(^^)。
祝戸を過ぎて広い道路に出たら右に曲がります。広いけれど殆ど車は通りません。だだっと下ります。 でも次のヘアピンを右へ!調子に乗って下りすぎないように(^^;。 もう一度だだっと下ったら今度は左へ、中尾山古墳方面へ進みましょう。
案内表示に従って、中尾山古墳を目指しましょう。少し上りですが、道なりに進みます。
高松塚へは少し下り坂。
休憩所の前にサルスベリが咲いていました。赤もありました。
飛鳥歴史公園の南側が高松塚古墳周辺地域。
ここから近鉄飛鳥駅は近いのでリタイアする方はこの辺りで。
周辺は田園地帯。飛鳥はどこを切り取っても’’緑’’だ。
高松塚古墳は残念ながら工事中だった。
きれいなトイレもあり、景色もなかなか♪
休憩所の前から「橘寺」方面に進み、すぐ右です。
この横の周遊道路を道なりに進み、広い道路に出ます。写真は道路側から文武天皇陵を眺めたところ。
祝戸からの下り坂でヘアピンを曲がり損ねて道なりに行くとこの道路に繋がっている。 相変わらず広いわりに車の通らない道路だ。
あ~、ず~っと田んぼです。都会に住んでいるとこういう景色を見ると嬉しくなります♪
まっすぐの下り坂です。
意味もなく楽しいです(^^)。
広い道路に出ました。T字路で一見突き当たりですが、道路を渡ったところに、 よく目をこらすと道らしきものがあります(^^;。細い道なのでよく見てください。 丘の上です。ここを進みます。
真ん中奥に見えるのがまっすぐ下ってきた道路。この道を上るんです。
ちょっと怪しげです(^^;。
檜隈寺跡と同じ敷地内にある。祭神は阿智使主(あちのおみ)。
簡素で落ち着いた空間です。
ヤブ蚊がとても多い。夏の時期に2回行って2回とも刺された(;_;)。
狛犬もちゃんといました♪
庚申さん、ここにもありました。
於美阿志神社を出るとまたまたのどかな道が続きます。あ~、気持ちいいなあ~。
日本の古き良き原風景、といったところでしょうか。こういう景色を見ると何故か心が落ち着きます。
しかしこの辺りは現在進行中の「キトラ古墳周辺地区の整備計画」が施行されると人工的な公園へと
変わってしまいます。本当の自然保全、環境保全とは何か、もっと真剣に考えるべきだと思います。
国道210号線から続く広い道路と合流したところ。左側の細い道の先が「於美阿志神社」。
広い道を下ってしばらく行くと左手にキトラ古墳へ向かう細い道があります(上りです)。
ほっほ~、これがキトラ古墳ですか。…「わからんじゃん!」
あ、なるほど。これがキトラ…「やっぱりわからんじゃん!」
保存のため古墳はすべて建物の中です。
裏側に回るとわずかにシートが見えます。
キトラ古墳を見学したら元の道に戻ってひたすら下ります♪
小嶋寺へ向かう道。やはり広いけれど車は殆ど通らない。下り坂です。るんるんです(^^)♪
ず~っと下りです。ひゃっほ~(^^)。
広い道を突き当たったら、少し右に。すぐ左に。小嶋寺を目指します。
小嶋寺の前の道です。
山号は報恩山千寿院。真言宗の寺院だ。山門は高取城の二の門を移築したもの。境内自由。
清楚なお寺です。
小嶋寺を後にして前の道を高取川まで進みます。
川に出たら、川沿いの道をひたすら北上します。
この辺りは5000分の1の地図にも道が載っていない(^^;。 雨の降った次の日はぐちゅぐちゅで走れません(^^;。それでもひたすら川沿いです!
駅近くはきれいに整備されています。このまま北上すると近鉄飛鳥駅到着です。お疲れ様でした(^^)。
左側は「飛鳥人の館」というおみやげ物屋さん。観光案内のパンフレットなども置いてある。
近鉄飛鳥駅より徒歩約25分。
かめバス(飛鳥周遊バス)「赤かめ」健康福祉センター下車すぐ(所要約6分)。
大人500円。ボディーソープ、リンスインシャンプー、ドライヤー完備。
「大海人(おおあま)の湯」はなんと浴場内にテレビがあります♪
(※「讃良(さらら)の湯」と男女1週間交替)
お庭もきれいです。
こんなロケーションです。中央奥に見えるのが「太子の湯」。
「太子の湯」を出てすぐ、飛鳥小学校の近くに蓮池がありました。 この日(7月中旬)はほぼ満開に咲き誇っていました。
定林寺は聖徳太子が建立した46か寺の1つといわれている。 ここから奥へ入っていくとぽっかりと空き地(?)があります。「太子の湯」からは南西へ300mくらい。
わずかに基壇だけが残っている。
天武天皇は第40代、持統天皇は第41代の天皇。 天武天皇の即位前の名が「大海人皇子(おおあまのおうじ)」、 その妻である持統天皇は「鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)。 「太子の湯」の2つのお風呂はこの名前からきているんですね。 しかし、この辺りも新しい道路ができてすっかり様変わりしていた。「太子の湯」からは西へ約600m。